愚か者の戯言 

2017.12.30
<これはフィクションです。>
西の首領がしびれを切らして大号令をかけた。
「東へ!東へ突き進め!
東を併呑して真の強国になるのだ!」
国際的経済制裁による国家疲弊で西の独裁国家人民はその日の食べ物にも事欠いていた。
記録的な干ばつによる不作が決定的な後押しをした。
国民の不満が抑えきれなくなるのも間近とみられていたが、突如として国境沿い展開した重火器が全砲門を開き、またそれに合わせて国境に展開していたレイジャー部隊が一斉に国境を突破して雪崩込んだ。
東国首都は国境に近く、そこ向けられた1,000門の旧式砲は、旧式とはいえその圧倒的な数で東国の首都を破壊、焼き尽くしていった。
それはまさに阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
そんな中にあって、我が国同胞はほとんど被害を受けることはなかった。
というのも、その数か月前に先の大戦時の性奴隷問題に対して我が国がこれまでの方針を変更、東国の主張をことごとく覆す証拠を提示して東国側の主張を全面否定、東国がこれに猛然と反発、両国関係はこじれにこじれて国交を遮断、我が国政府は邦人の帰国を進め、観光客を含む一切の渡航を禁止していた。
反発感情による襲撃を恐れたというのは建前であるが、我が国政府には西の独裁国が暴発するというこの事態を想定していたのかもしれない。
東国軍も直ちに反撃する。
しかしその反撃も後手に回り、圧倒的な装備差があるにもかかわらずなかなか有効打を与える事を出来ずにずるずると戦線を後退させていた。
~もともと国境線沿いに設置された地雷原が西の侵入を防ぐと想定していたが、西はそれを覆す禁じ手を犯した。
政治犯として収容所に収監していた人々を地雷原に送り込んだのだ。
その中には海外から拉致してきた人々も人々も含まれている。
銃口に追い立てられ、一縷の望みを託して地雷原の走破を試みるも、巧妙に張りめくらされた対人対物地雷が無辜の人々の悲しい願いを打ち砕いてゆく。
こうして出来た血塗られた道を通って西の部隊は易々と東へと侵攻した。
食糧すら持たず、死に物狂いで突進してくる特殊訓練を施されたレインジャー部隊はことのほか強い。
占領地でまず食料を調達、腹を満たしてまた突進を繰り返した。
占領地で得た鹵獲品は自分の家族や故郷に送ってもよいという首領さまの有り難いお言葉があり、占領地で略奪と殺戮の限りを尽くした。
そうして西に送られた物資が無事目的地に付いたかどうかは定かではない。
持っているものは何でも使う、生物化学兵器の使用も東国軍及び東国市民に甚大な被害を与えた。
また、東国軍の反撃による生物化学兵器製造及び貯蔵施設への攻撃及び輸送中のそれらへの攻撃による西国内の被害も甚大であった。
持てるだけのミサイルも次々に発射しその多くは東国国内に着弾、甚大な被害をもたらした。
一方、長距離ミサイルは西の独裁国家の東国侵攻と同時に我が国の強力な同盟国の原子力潜水艦や巡洋艦から放たれた無数の巡航ミサイルによって発射前にほとんど破壊され、難を逃れて飛び立ったものはイージス護衛艦による迎撃ミサイルによってことごとく空中で破壊され、我が国及び我が国に駐屯している同盟国軍にいささかの被害も与える事は出来なかった。
東国首都を何とか脱出した東国政府は東部の都市を臨時首都とし、戦線を立て直して反撃を試みた。
実はこの時、東国にもともと駐留していた同盟国軍も存在しなかった。
親共産国家に舵を切った東国政府は国土防衛ミサイルの撤去を同盟国に通告、呆れた同盟国軍はこれ幸いと全軍撤退していた。
防衛ミサイルがあれば西国による生物化学兵器を搭載したミサイル攻撃による被害の多くを防げたと後悔してももう遅い。
西国の崩壊を恐れる共産国家は、その国境に大部隊を国境に集結するも、越境して攻撃することはなかった。
我が国と我が国の同盟国、共産国家そして北の帝国という関係四か国はこの騒乱を朝鮮半島内の内乱と規定、国境および海上封鎖を厳重にし、直接地上戦闘に加担することはしなかった。
海上に逃れた難民は厳重警戒する沿岸警備隊及び海軍によって領海に入る前に捕捉され、海上流民として強制帰国させられた。
ようやく装備に勝る東軍が戦線を整備、さしもの西国のレインジャー部隊もとりあえず腹を満たすと戦意も一服、戦線が膠着した。
そうなると装備に勝る東軍が有利になり、戦力を一点に集結、膠着した戦線を突破した。
装備の劣る西国は受け身になると弱い。
一方的に前進を許し、見る間にその西国首都郊外にまで侵攻、そこに築かれた前線基地から首都に向けて砲弾の嵐が降り注いだ。
瞬く間に街は壊滅、地下深くの塹壕に隠れる首領も、雨あられと降り注ぐ貫通砲弾によって生き埋めの危険を感じ、そこを出て逃げる際に反乱軍によって捕らえられ殺害され、その遺体は高射砲によって肉片一つ残さず破壊されたという。
首領を失った西国は残存親衛隊を中心とするグループと反乱軍を中心とするグループに分れて互いに殺戮を始めた。
東国軍も密かに我が国や我が国の同盟軍の支援を受けるグループとそれを憎むグループに分裂、互いに殺戮を始めた。
合従連衡、それぞれのグループが互いに相争い、閉鎖された環境の中で果てしない消耗戦の泥沼に陥っていた。
女と見れば犯し、老人はその場で殺され、子供は少年兵として消耗品の様に殺されていった。
3年後、両国の人口は三分の一にまで減少したと推定されるが、誰も救援の手を差し伸べない。
恩を仇で返す国民性が広く知れ渡っているうえに、膨大な戦後復興費用の負担をどこも負担しようとはしなかった。
その時、我が国は空前の好景気に沸いていた。
戦争ほど物を多く消費するのはない。
第二次大戦後日本が復興したのは朝鮮動乱のおかげと言っても過言ではない。
当時の好景気はガチャマン景気と呼ばれていた。
ガチャンと1回機械を動かすと1万円儲かったからだと言う。
この騒乱が我が国にもたらした利益がいかに膨大なものか、計り知れない。
予想をはるかに超える税収増によって国は借金を完済しただけではなく、潤沢な手持ち資金が出来て来るべき時に備えることが出来た。
そして麻の様に乱れ国家としての体をなさない半島国家に対して我が国は、密かにその南端の島を占領、反対勢力を追放して傀儡政権を樹立させた。
海上を我が国の艦船で厳重に警備されたその島は半島で唯一安全な地域となり、我が国に親しみを覚える人や日和見の人々が殺到、傀儡政府はそれを受け入れた。
次に対岸に橋頭保を構築、しだいに半島を徐々に我が国に親しみを覚える国家に作り替えていった。
我が国政府の後押しで次第に我が国に親しみを覚える人々の勢力地域が拡大、ついには南部港湾都市の反対勢力を一掃して勢力圏下に収め、荒廃した都市機能と港湾施設を復旧、半島と海外を結ぶ交易拠点として整備した。
他の港湾が互いの勢力の攻撃で使用不能になる中、いち早く復旧したこの港に世界中の船が殺到、我が国海軍が厳重に周辺海域の安全確保に努めていることも相まってその活況は想像を絶し、そこから得られる利益と税収もまた莫大であった。
しかし、我が国政府は領土併合と言う愚は犯さない。
参考にしたのは帝国主義時代のイギリスがインドを植民地として統治した方法だ。
同国民同士で相争う各勢力が、どこも抜きん出た力を持たないように、力を蓄えるとそれを削ぎ、衰退を始めると消滅しないように助力する、お互いがお互いといがみ合うように仕向け、そのためには宗教の違いや世代格差、貧富の差まで煽り、その上で利益だけを徹底的に収奪した。
教育さえ施さない。
インフラ等の投資も最小限に抑え、半島国家の国力はますます減衰し、人心は際限なく乱れた。
我が国で生まれ育ったかの国の人々の多くが祖国復興の力になろうと半島に渡ったが、その現実の前に立ち尽くして茫然自失、目だった活動をする者から反目するグループの標的にされて殺害されていった。
それでも今この危機を前に帰国しないのは人ではないという風潮に流され、ほとんどの人が我が国を離れた。
我が国が植民地として統治し利益を収奪する半島に対して関連する主なプレーヤーは我が国の強力な同盟国、共産国家、そして北の帝国だ。
ヨーロッパ諸国は地理的に遠く民族の違いもあり関心を寄せていない。
当初共産国家は国境近くにに勢力を築く西国旧親衛隊を中心とするグループに肩入れし、全半島の支配権を握ろうとしたが、乱れた国内事情から、他国に干渉する余地はなく、難民流入阻止が精一杯であった。
我が国の同盟国も直接統治は実利が薄いと敬遠、我が国の尻馬に乗って利益の簒奪に余念がなかった。
そして北の帝国である。
当初国境付近に勢力を構築した西国反乱軍を中心とするグループに肩入れし勢力拡大を目指したが、テロとの戦いが中央アジアで泥沼化し、その対応に追われて極東にまで手が回らないのが実情だった。
その北の帝国は、我が国の実力を高く評価してこれと対抗することの愚を悟り、占有する島々を我が国に無条件返還して安全保障条約を締結、極東の安全保障を我が国に任せ、極東に配備していた戦力の多くを中央アジアに移動した。
この安全保障条約は我が国が同盟国と結ぶ条約と同じレベルであるが、極東における力の真空を同盟国に突かれることを恐れた北の帝国は我が国にある同盟国の完全撤退を要求、同盟国も極東に戦力を配備する必要がない事を認めて撤退に同意した。
こうして長く我が国に駐留し安全保障を担ってきた進駐軍が撤退、我が国は真の独立を得た。
また国連においても常任理事国入りを諸外国から強く要望され、国の体を無さなくなった共産国家に代わって常任理事国に就任、その国際社会での地位も確立した。
北の帝国との安保条約締結は我が国にさらに巨大な富をもたらした。
北の島々返還に伴う漁業資源確保による利益は勿論だが、北の帝国から我が国まで天然ガスパイプラインが直結、我が国北辺の地に巨大なガスプラントが立ち並び、地元に巨大な利益をもたらしただけでなく、鉄道や道路と言ったインフラ整備によって北辺の地があまねく潤った。
その後、アセアン諸国と安全保障条約を締結、サラワクに軍港を確保し艦隊を配備してマラッカ海峡の安全を確保、またスリランカとも条約を結んで軍港を確保、艦隊を配備してインド洋の安全を確保、こうして中東と極東を結ぶシーレーンの安全を確保した。
そして独立を果たした台湾をいち早く承認して国境線を画定、安全保障条約も締結した。
台湾に続いて香港がマカオと深圳まで加えた領土で独立、これには旧宗主国イングランドの肩入れがあったようだ。
チベットはインドの後押しを受け、新疆ウイグルもイランの後押しで民族自決運動の末に独立を果たした。
麻のように乱れた共産国家はあたかも三国時代の様に鼎立してそれぞれ独立、互いに覇を競い合った。
一時の混乱を脱したとは言いながら自治区を失い本土も三分割して互いに競い合う状況では、かつての大国を目指した勢いはどこにも感じられない。
こうして極東において圧倒的な地位を確立し、わが世の春を謳歌する我が国は、半島においてはやりたい放題、その影響力は内乱の続く共産国家北辺の地にまで及び始めた。
 
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